写真館 学生時代・作家まで
 
 
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「幻の墓」   富田砕花

私はいつも幻の墓をえがく、
氷河をその裾に捲く
尖峯の絶巓に
大概おほかたの日の明け暮れは
氷霧ひょうむによつてその墓がまかれてゐやう、
まれに晴れた日の朝なれば
それは薔薇色に粧はれてあらう、
また恵まれた日の夕暮なれば
亡霊を想はせる灰鶸色はいひわいろ
さびしく荒れたかたち
空間に懸けて。(後略)

私はこの詩とジャンダルムの山容から、後年『幻の墓』を書いた。

   
奥穂高頂上より前穂高、北尾根方面を望む。
 
ジャンダルム。
 
蝶ヶ岳頂上より槍ヶ岳を望む。
 

上高地から穂高へ向かうルートは、日本のアルピニストのロイヤルルートと呼ばれている。私も中部山岳の中で最も多く足跡を刻んだのは穂高岳周辺であった。いまでも上高地へ行くと、かつての山仲間と共に、あるいは単独で登った若き日の山々の想い出が鮮烈によみがえる。

いつも忙しなく前方ばかり見つめている視線を、ふと過ぎし日の山に振り向けるとき、吹きつけるような郷愁と共に、当時の山仲間の面影がよみがえる。あの豪勢な雲表の饗宴を分かち合った仲間たちは、いまどこで、なにをしているであろうか。束の間の感傷であるが、写真は私たちだけが知っているはるかな山巓の豪快な饗宴が永遠の青春となって定着している。

 
奥穂高涸沢にて
 
28歳ごろ、穂高岳にて。
 
北アルプス穂高岳山頂付近、26歳当時。
 
26歳春、穂高岳に単独登攀した。穂高岳は、日本第2位の高峰、南アルプス北岳に2メートル弱及ばなかった。それを悔しがった穂高岳山荘管理人が、頂上に2メートルを超える岩塔を構築して北岳よりもやや高くした。だが、まだ第1位とは認められていない。このときの経験が『高燥の墳墓』に実った。セルフタイマー撮影。

 
 
 
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