棟居刑事の「人間の海」

人間の海という言葉が好きである。特に東京の雑踏の中を歩いているとき、まさに人間の海を感じる。だが、雑踏の中だけはなく、東京ではアパートや、電車やバスやタクシー、喫茶店などでも、人間の海を実感する。
地方都市では、ちょっと外出すれば必ず知り合いに出会うが、東京で知り合いに偶然出会う確率は天文学的である。なにげなくすれちがっている人々とも、それぞれの人生において二度と出会うことはない。だが、すれちがいは出会いとは言えない。生涯、一期一会のすれちがいが人間の海では毎日、無数に無感動に行われている。
だが、仕事、趣味、生活環境、宗教、出身地、出身校等、各人生においてなんの関係もない人々が、酒場や喫茶店に集まって触れ合う。本来、なんの関わりもない人々が親しくなり、錯綜した事件を協力して解く。彼らの間には一片の契約も約束もない。人間の海らしい人間関係を描いてみたかった。
彼らが人生の一時集まった都会の一隅のアパートは、私が20代に入居していたアパートをモデルにしている。いまそのアパートはない。

実業之日本社
1998.7
*実業之日本社
2000.1
角川文庫
2003.10

 
 
 
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