霧の神話

記憶喪失はミステリーの定番である。記憶喪失には1人の人間が人生を2回、あるいは3回生きるようなロマンティシズムがある。忘れた過去、殺人者かもしれないし、あるいは巨大な富の所有者かもしれない。隠された過去にどんな自分が生きていたのか、過去を探るのが怖くもあり、別の自分を確かめたい好奇心もある。だが、ミステリーの喪失した記憶には、たいていまがまがしい過去が封じ込められている。過去の封印を解かなければ、現在のハッピーな生活をつづけられたものが、凶悪な過去に追いつかれてしまう。
人は人生、1回であるべきであり、2回以上望むと、少なくともミステリーの世界ではろくなことはない。それにもかかわらず、なぜ記憶喪失はミステリーに好んで描かれるのか。
人は明け方、起床前によく夢を見る。だが、明け方だけに夢を見ているわけではなく、それ以前の夢を忘れてしまっているのである。朝起きたとき見た夢を次々にさかのぼる。次第に記憶がぼやけてきて、ある夢以前から前はさかのぼれなくなる。私は忘れた夢にミステリーをおぼえる。失われた過去にミステリーの源流があるように感じられる。記憶喪失を扱った拙作には、『ガラスの恋人』、『碧の十字架』などがある。

 
*祥伝社
1974.8
角川文庫
1977.6
*祥伝社
1978.4
ケイブンシャ文庫
1989.8
祥伝社(ノンポシェット)
1996.6
ハルキ文庫
1999.9
徳間書店
2004.1

 
 
 
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